公益社団法人  奈良市観光協会公式ホームページ
HOME > 奈良の世界遺産 > 春日大社

奈良の世界遺産

春日大社





 飛火野を右手にみて、石灯籠の並ぶ表参道を東にたどると、春日大社南門に行きつきます。御蓋山(みかさやま)を背に、深い木立に囲まれて、丹塗り(にぬり)の社殿が鮮やかです。
 この地は、もと春日地方の地主神をまつっていたところです。藤原氏によってここへ鹿島から武甕槌命(たけみかづちのみこと)、香取から経津主命(ふつぬしのみこと)が迎えられ、つづいて枚岡からその祖神天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめがみ)が迎えられました。768年(神護景雲2)、この四座の神々がそろってまつられ、春日社が成立しました。藤原氏の氏社としてできたのですが、間もなく祭は国が行うことになりました。
 平安時代になって、社殿がいまのように形を整えました。藤原氏はもとより、皇室や貴族の春日詣がさかんになり、室町時代には歴代の足利将軍も、春日社に参るのが例になります。春日社への進出をすすめた興福寺は、11世紀の末ごろほぼその実権を握りました。1135年(保延元)には春日若宮社をおこし、翌年から若宮祭(おん祭)を始めて、春日社との一体化を実現しました。このころから興福寺の僧兵は、春日社の神木を奉じて、しばしば京都へ強訴しました。
 鎌倉時代以降の春日社は、伊勢神宮・石清水八幡宮と並んで「三社」といわれ、国民の信仰を集めるようになりました。おん祭も、14世紀末ごろから大和の国中のお祭になり、やがて春日信仰は庶民の間にもひろがっていきました。合わせて3,000に及ぶ参道の石灯籠や回廊の釣灯籠に、それをうかがうことができます。
 明治維新の神仏分離で興福寺の支配を離れ、1871年(明治4)官幣大社春日神社となり、1946年(昭和21)から春日大社と称するようになりました。南門を入って正面が幣殿・舞殿を用いた神拝所で、左手が直会殿、神拝所の前の庭をへだてて一段高いところに中門があって、その奥に本殿があります。本殿は、東から数えて第一殿から第四殿までの四楝、いずれも春日造の桧皮葺です。鎌倉時代から20年ごとの式年造替(きまった年にもとの姿に造りかえる)が行われてきました。現在の建物は、1863年(文久3)の造替によるものですが、平安時代の姿をよく伝えています。明治以降は、屋根の葺きかえを中心とする修理で造替に代えてきたのです。

 (市内循環バス春日大社表参道下車徒歩10分)