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ようこそならまちへ

故郷(ふるさと)飛鳥(あすか)はあれどあをによし平城(なら)明日香(あすか)を見らくし好しも
大伴坂上郎女(万葉集 巻6-992)
訳/古京となった飛鳥もよいけれども、青丹よき奈良の明日香を見るのもよいことよ
「万葉集」中西進 講談社文庫より)
710年に平城京へ都が遷されたとき、飛鳥の法興寺( 飛鳥寺) が元興寺として平城京に移され、この地は「平城(奈良)の飛鳥」 と呼ばれていました。現在、「飛鳥」という町名は残されていま せんが、「飛鳥小学校」などの呼称にその名を留めています。
この元興寺の旧境内を中心とした地域を「ならまち」と呼んでいます。 平城京の「外京」にあたり、当時の道筋をもとに発展した長い歴史を 持つ町です。平城京への遷都以来まちづくりがはじまり、南都と呼ば れる社寺のまちから商業のまちへ、商業のまちから観光のまちへと様 々な時代背景の中で盛衰をくり返してきた町でもあります。江戸時代 の末期から明治時代にかけての町家の面影を今に伝える「ならまち」 は、訪れる人々にやすらぎとうるおいを与え、時には懐かしささえ感 じさせてくれる古い町並みです。
庚申堂 MAP/D-4
鎌倉時代には、大寺院の保護のもとに北市・南市、室町時代には中市が開かれ商業が発達しました。さらに社寺と結びついた手工業も発達し、郷に住む人たちの経済力、政治力が向上しました。室町時代後半に下剋上の風潮がおこり支配層が混乱したため、郷に住む人たちはしだいに社寺の支配を離れて自治意識が高くなるとともに、町民として自立するようになりました。
南中町の石畳の坂道MAP/C-3
このような動きは、江戸幕府の支配権が確立するまで続きました。安土桃山時代には、郡山城に入った豊臣秀長の支配下におかれました。秀長が郡山の繁栄をはかり、強大な興福寺の勢力を抑えるため、ならまちの商業に統制を加えました。そのため、ならまちは一時沈滞してしまいますが江戸時代に入って奈良奉行が置かれると、晒(さらし)や酒などで産業の町として活気を取り戻します。 江戸時代中期以降は、墨以外の産業が衰え、東大寺や春日大社の門前町としてようやく命脈を保ちます。明治になってからは、ならまちにも文明開化の波がおしよせ、牛肉店、洋髪の散髪屋、カステーラ屋などができました。そして明治22年には町制が、明治31年には市制が施行され現在に至っています。
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