奈良の世界遺産

写真提供:東大寺寺務所
写真提供:東大寺寺務所

奈良の世界遺産とは

1998年12月「古都奈良の文化財」として世界遺産リストに登録された施設・史跡・天然記念物をいいます。「古都奈良の文化財」は8つの資産で構成されています。

◆ 国宝建造物があり、敷地が史跡に指定されている資産

東大寺
東大寺
興福寺
興福寺
春日大社
春日大社
元興寺
元興寺
薬師寺
薬師寺
唐招提寺
唐招提寺

◆ 特別史跡・特別天然記念物に指定されている資産

平城宮跡歴史公園
平城宮跡歴史公園
春日山原始林
春日山原始林

◆ 奈良市はまち全体が世界遺産
「古都奈良の文化財」は単一施設での世界遺産登録ではなく、8つの資産全体がひとつの文化遺産として登録されていることが特徴です。奈良市の世界遺産は、まち全体でひとつの価値を物語っています。

◆ 遺産保護の取組も評価された世界遺産登録
奈良市では世界遺産への登録以前から都市計画にルールが定められ、奈良市民は自らの手で歴史遺産を守ってきました。 世界遺産登録をきっかけに保護に取り組むのではなく、市の自主的な取り組みがあったことは誇るべきことです。

なぜ「古都 奈良の文化財」が世界遺産に選ばれたのか

奈良の遺産が世界遺産となったのは文化遺産の6つの価値基準のうち、4つに当てはまったためです。

◆ 国際交流から生まれた芸術や技術の発展を示している
奈良時代には中国や朝鮮との交流によって天平文化が花開きました。 建築様式、都の建設、漢字、仏教という新たな考え方、服装など全て中国や朝鮮から学びながら発展しました。 遥かシルクロードの向こうであるローマやペルシャの 影響も感じることができます。
◆ 国際交流から生まれた芸術や技術の発展を示している
◆ 文化や文明の重要な証拠を示している
現在の奈良市は古代の日本の首都でした。 つまり、奈良市は国の中心として日本全体の文化や文明をリードする存在でした。 平城宮跡では奈良時代の都の都市計画の 様子を見て取ることができ、首都の繁栄の証拠が残されています。
◆ 文化や文明の重要な証拠を示している
◆ 人類の歴史の上で重要な時代の遺産が残っている
奈良時代は、日本の国家や文化の基礎が整った 重要な時代でした。 聖武天皇は仏教を通じて国造りを行うべく、日本全国に国分寺を配しました。その中心が今も残る東大寺です。東大寺大仏には国をひとつにまとめたいという願いがこめられています。 奈良市の遺産は国としての「日本の始まり」を物語っています。
◆ 人類の歴史の上で重要な時代の遺産が残っている
◆ 信仰や伝統などと密接に関連している
世界中の信仰や伝統には普遍的価値があります。 奈良市の遺産は神道や仏教など日本人の信仰と密接な関係があります。 神社仏閣などの建造物はもちろん、数100年続く伝統行事を受け継ぐ場所として欠かせないものが奈良市の 世界遺産なのです。
◆ 信仰や伝統などと密接に関連している

他都市の世界遺産との違い

◆ 東アジアの遺産の中でも際立つ再現性と自然との調和
日本を含む東アジアの古代の都のうち、宮殿の遺跡と都に計画的に建設された木造建築群によって当時の姿を伝えている例は、他にありません。 建造物群と自然が一体となり文化的景観を作っていることも大きな特徴です。

◆ 平安京(京都市)よりも当時の様子を伝える平城京(奈良市)
古代の平安宮の跡は、都市化が進みあまり残っていません。当時の平安京の様子を伝えるものは、戦乱や都市の変遷とともに多くが失われてしまいました。 同じように古都とよばれる奈良と京都ですが、その性質はけっして同じではないのです。

奈良の8つの世界遺産を詳しく見る

東大寺

  • 写真提供:東大寺寺務所

奈良の大仏さまで知られる奈良時代創建の代表的な寺院で、都である平城京に全国の国分寺の中心として建立されました。
大仏殿は世界最大級の木造建造物です。
天平15年(743)に聖武天皇が生きとし生けるすべてのものが栄えるようにと願い、盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)造立の詔を発し、天平勝宝4年(752)に大仏さまは開眼されました。以降次々と堂塔が建造され、40年近くかけて伽藍が整いました。
都が移ったあとも大仏さまの寺として朝野の篤い信仰を集めました。
しかし、治承4年(1180)平重衡の軍勢によって大仏殿をはじめ伽藍の大半を失いました。
重源上人によって再興されましたが、永禄10年(1567)の三好・松永の乱で、わずかな建物を残して再度焼失してしまいます。
現在の伽藍の多くは公慶上人らによって江戸時代に再興されたものですが、法華堂や転害門、南大門をはじめ、各時代を代表する国宝建造物を含む多くの文化財を伝えています。

薬師寺

  • 写真提供:薬師寺

今からおよそ1300年前の白鳳時代、天武天皇が皇后・鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ/のちの持統天皇)の病気平癒を祈って発願され、持統天皇が即位してから藤原京に造営されました。その後平城遷都に伴い、養老2年(718)に現在地に移されました。中央に本尊・薬師三尊像をまつる金堂、東西に2基の塔を配する日本初の伽藍配置は「薬師寺式伽藍配置」と呼ばれています。その大きな特徴は、堂塔の各層に裳階(もこし)をつけた壮麗な姿の「龍宮造り」でした。
しかしその華麗な堂塔は数次の火災にあって次々と焼失し、創建当時から現存する建造物は東塔(国宝)のみとなりました。その後、長年のお写経勧進により、昭和51年(1976)に金堂が、昭和56年(1981)には西塔が、その後中門、回廊、玄奘三蔵院伽藍などが復原造営され、平成15年(2003)には大講堂が落慶、平成29年(2017)には食堂(じきどう)も再建、創建当時の壮麗な白鳳伽藍が鮮やかに復興されました。平成10年(1998)、法相宗大本山 薬師寺は「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして、ユネスコの世界遺産に登録されました。

春日大社

  • 写真提供:春日大社

奈良時代の初め、平城京鎮護のために茨城県鹿島の武甕槌命(たけみかづちのみこと)を御蓋山(みかさやま)の山頂にまつったのが起こりとされています。神護景雲(じんごけいうん)2年(768年)、称徳天皇の勅命により現在の場所に社殿を造営し、千葉県香取から経津主命(ふつぬしのみこと)、大阪府枚岡から天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)をあわせてまつりました。
平安時代になると皇族や貴族の春日詣も盛んになり、20年ごとの式年造替の確立に伴い、本殿以下各社殿は現在のような規模になりました。また中世以降になると武家や庶民にも信仰が広まり、全国各地に3,000社を超える分社が造られるまでになりました。
境内には「万燈籠」で知られるさまざまな形の釣燈籠、石燈籠があり、それらの多くは庶民の寄進によるものだということからも、庶民信仰の深さを伺い知ることができます。毎年2月節分の日と8月14・15日にすべての燈籠に火を入れる「万燈籠」の神事が行なわれ、その幻想的な美しさに、多くの参拝客が訪れます。

平城宮跡歴史公園

和銅3年(710年)に藤原京より遷都された平城京の中心であった「平城宮(へいじょうきゅう)」の宮跡で、1998年(平成10年)には「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして、世界遺産に登録されました。長期間にわたって調査や復原整備が進められており、東西1.3km、南北1kmの広大な敷地に第一次大極殿、朱雀門などが復原されています。
2018年(平成30年)には5つの複合施設を含む「朱雀門ひろば」がオープンし、平城宮跡歴史公園(正式には「国営飛鳥・平城宮跡歴史公園 平城宮跡区域」)となりました。四季の移り変わりを感じられる自然の風景や、1年を通じて行われる多彩なイベントも見どころです。

唐招提寺

  • 写真提供:唐招提寺

聖武天皇の招きに応じ、苦難の末、日本にやってきた唐僧鑑真和上によって建立されました。鑑真和上は日本に着いてから5年間、戒壇院での授戒を制度として確立するために東大寺で過ごしましたが、東大寺を引退された後、故新田部親王(天武天皇の第七皇子)の旧宅を賜り、そこを「唐律招提」と称し、戒院として教学の場を営むことになりました。
やがて鑑真和上を支持する人々から居室や宿舎を贈られ、倉庫、食堂、講義用の講堂、本尊を安置する仮金堂などが建てられ、鑑真和上の没後も金堂や東塔が建立されました。平安時代初頭に伽藍全体が完成し、そのころ「唐律招提」から「唐招提寺」となりました。

元興寺

前身は6世紀末蘇我馬子によって開かれた法興寺(飛鳥寺/明日香村)でしたが、平城遷都に伴い現在地に新築移転され、名も元興寺と改められました。かつては南都七大寺の一つとして威勢を振るい、現在の奈良市街の南東部を占めていました。広大な境内には、金堂・講堂・五重塔・僧房などが立ち並んでいましたが、平安時代半ば、その勢威も衰えてしまいました。現在では僧坊の一角が唯一現存しています。
極楽堂はかつての元興寺僧坊の一部で、鎌倉時代に極楽堂〔国宝〕と禅室〔国宝〕に改築されました。屋根には飛鳥・奈良時代の瓦も現存しています。中世以来庶民の信仰を集め、境内から無数の石仏と民俗資料が発見されています。法輪館には奈良時代の木造五重小塔〔国宝〕木造阿弥陀如来坐像・中世庶民信仰資料〔各重文〕などが多数安置されています。

興福寺

  • 中金堂

南都七大寺の中で最も密接に奈良の街とつながりを持ちながら発展した寺。和銅3年(710)藤原不比等が飛鳥から平城京へ前身の厩坂寺を移転したもので、藤原氏の氏寺として、藤原一族の隆盛とともに寺勢を拡大しました。最盛時には数多くの堂塔僧坊が立ち並んでいたといいます。また、神仏習合の影響をうけ、春日社と一体化し、時には僧兵をしたがえて朝廷へ強訴に及ぶまでになりました。治承4年(1180)平家に焼き打ちされ、ほとんどの堂が焼失しますが、直ぐに再建されました。
鎌倉時代には大和守護職の実権を握り、実質的に大和国一帯を支配していました。
現在の堂塔は、鎌倉以降の建物を一部残し、広い境内に東金堂・中金堂・北円堂・南円堂・五重塔・三重塔・大湯屋・大御堂・国宝館などが建並び、仏教彫刻類は天平時代や鎌倉時代の至宝を数多く保存しています。(中金堂は平成30年(2018)に落慶しました。)

春日山原始林

春日山は春日大社の神山として1000年以上も伐採が禁じられていたため、カシ、シイ類を主体とした常緑広葉樹林の原始林となっています。
昼なお暗い山内には、モリアオガエル、ヒメハルゼミ、カスミサンショウウオなど珍しい動物が生息しています。
昭和30年(1955)に特別天然記念物に指定され、また平成10年(1998)世界遺産に登録されました。

“写真映えする”世界遺産の撮影スポット「新・南都八景」

  • 春日鳥居の前でたたずむ鹿

日本各地にある「~八景」の一つ「南都八景」は、室町時代に始まり、江戸時代に定着したと言われています。
長い間、奈良を象徴する風景として親しまれてきました。

世界遺産登録25周年を記念して、東大寺、興福寺、春日大社、春日山原始林、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡の最も“写真映えする”撮影スポット「古都奈良の文化財 新・南都八景」を制定するために、各資産から推薦された候補から最も人気のあるスポットを選ぶオンライン投票を実施しました。

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