くるみの木 オーナー/石村由起子さん インタビュー
目が喜び、心が育つ。祖母から受け継いだこと、まちへ受け継ぐもの
佐保路にある「くるみの木」。線路沿いの敷地では、庭の植物たちが迎えてくれます。のびのびと緑を伸ばし、実をつけるブルーベリーや胡桃の木。つい見とれていると、声が聞こえてきました。
「目が喜ぶと、心も喜ぶんです」
声の主は、オーナーの石村由起子さん。開店前の店内で、話をうかがいました。
くるみの木の始まりは、1983年まで遡ります。由起子さんが夫を駅まで送った帰り道のことでした。踏切のすぐそばに佇む建物の庭に咲く美しいあじさいに目を奪われたのです。「挿木したいので、一輪分けてもらえませんか」と、たまたま建物から出てきた方に恐る恐る声をかけた由起子さん。「入って待ってて」と建物の中に招き入れられた途端、「こんなところでカフェができたら素敵ですよね。ここにテーブルを置いて、あそこに窓をつくって」と、小学生のころ、母との交換日記に書いた夢が、言葉となって溢れ出ていました。それを聞いたその方の取り計らいで、その日のうちに大家さんに会うことに。一度は首を横に振られるものの、夫の力強い後押しを受けて、1983年にくるみの木はオープンを迎えました。
今日に至るまで由起子さんの定位置となっているのが、店内を広く見渡せるこの席です。店を始める時に、大工さんが店内で大きい角材を組み立て、大きなテーブルをプレゼントしてくれたのです。そのとき、大工さんが言いました。
「ここでつくったから、もう外には出されへんから店を続けなあかんよ」
それから42年間。由起子さんは数えきれない夜明けを、くるみの木とともに迎えました。たくさんの人の手に触れられてきたテーブルは今、飴色に輝いています。
過去を受け継ぐ
一人で店を始めた由起子さんは、毎日暗いうちから料理を仕込み、開店とともにお客さまを迎えました。そして、土日になると、とれたて野菜の産直市を開きました。くるみの木が結婚式会場となったこともあったそうです。まさに八面六臂(はちめんろっぴ)の働きぶり。でも一人で切り盛りしているとは思われたくなくて…
「スタッフ一同、がんばっています」
由起子さんが自分でつくったフライヤーには、このように書いたといいます。
そんな由起子さんの働きは、“食”に限りませんでした。自ら糸を買い付け、庭に植えた草木で糸を染め、ストールを織り、店に並べました。やがて日本各地の作家さんを訪ね歩き、“もの”の取り扱いが始まるように。その一人である、長野県松本市の木工作家・三谷龍二さん。くるみの木の看板は、由起子さんが松本の工房を訪ね、制作をお願いしたものです。
これまで由起子さんは、たくさんの“もの”と出会ってきました。
「今日着ているワンピースは、5年間着続けています。風がよく通るから、夏でも気持ちいいんです。洗いっぱなしで、アイロンをかけていなくても、いい風合いでしょう?」
くるみの木に並ぶ衣食住の“もの”は、こうした暮らしの実感から取り扱いがはじまったものばかり。
買って、使って、着て、盛りつけてみる。暮らしの中で、本当によいと思ったものをくるみの木に並べて、伝えて、売る。その営みを40年以上続ける由起子さんに、改めてたずねたいことがありました。
人がものを買うとは、どういうことなのでしょうか?
「ものは、人の五感を育ててくれます。いいものを見て『ほしい』と思う。それは、目が育っている証なんです。目が喜ぶと、心も喜びますから」
目が喜ぶと、心も喜ぶ。そのことを教えてくれたのは、祖母でした。香川県で育った子ども時代。共働きで忙しくしていた両親のもとに育った由起子さんは、祖母との暮らしからたくさんのことを受け継ぎました。
野草がお茶になること。
椿の葉っぱが、箸置きに変わること。
色褪せたハンカチは、草木染めでよみがえること。
鍋で炊く大根やごぼうも、下拵えの時からトレイにきれいに並べると目が喜ぶこと。
由起子さんは、祖母から受け継いだ一つひとつを、くるみの木で形にしていきました。
「祖母は、岡山のお寺の娘でした。そこには保育園があり、子どもたちが気持ちよさそうにお昼寝をしていた風景を今も覚えています」
由起子さんはくるみの木を営むことで、祖母の風景を受け継いでいるのかもしれない。
そう思うエピソードがあります。
小学生だった“ゆっこちゃん”は、祖母のすすめで、教師をしていた母と交換日記をはじめたそうです。ある日の日記に、こう書きました。
「大人になったら、おじいちゃんもおばあちゃんも子どもたちもみんなが喜ぶ自分の店をやりたい。その名は『くるみの木』」
ふだんは淡々とした返信が多い母が、この日は「あなたならできるよ」と返してくれたといいます。
くるみの木のカフェには、祖母の形見であるお弁当箱やカゴが並んでいます。透明のガラス瓶に入った果実酒も、祖母から受け継いだ暮らしの知恵です。
くるみの木で過ごしていると、目に見える“もの”を通して、その背景にある目に見えない“こと”に思いを馳せてみたくなります。
くるみの木らしさを形づくるのも、目に見えない仕事の積み重ねです。
「開店前にはスタッフが庭のクモの巣を取りはらい、お客さまが気持ちよく過ごせるようにします。そのころキッチンでは、ランチの支度のため、数え切れないほどのじゃがいもの皮を剥きます。そんなスタッフたちがいてくれるから、くるみの木は今日もお客さまを迎えられるんです」
いつもスタッフに笑われるんですけどね…と由起子さんは続けます。
「自宅で取材を受ける前は、引き出しの中から片付け始めるんです。時間はかかるし、写真に写ることはないんですけどね。そういえば、おばあちゃんがいつも口にしていたな。『見えないところが大事なんだよ』と」
未来に受け継ぐ
くるみの木を始めてから、ジェットコースターのように夢中で駆けてきた由起子さん。その間に、佐保路の風景も変化していきました。くるみの木の周りに広がっていた田園は、住宅や店舗へと開発されていきました。次第に、薪ストーブを焚いてお客さまを迎えることも近隣を思うと難しくなりました。
一方で、42年間をかけて積み重なった時間の地層も生まれています。開店当初、近隣の高校生たちが、学校帰りに立ち寄る姿がありました。お小遣いやアルバイト代を握りしめて、美味しいケーキを味わえるくるみの木は「高校生がちょっと背伸びできる場」でした。やがて彼女たちが母になり、祖母になり、3世代でくるみの木を訪れる風景が生まれています。
そしてくるみの木では、現在40人ほどのスタッフが働いています。20年、30年と勤める人も少なくありません。今回のインタビューを影で支えてくれた藤岡さんもその一人。「長男が2歳の時に働き始めて、その子が25歳になりました。彼も学生の時に、ここでアルバイトをしていたんですよ」と笑顔を見せます。
「働く人こそお店です」と話す由起子さんの胸中には「ここで長くいてほしい」「飛び立ってほしい」という2つの思いがあります。くるみの木を経て、日本国内で自分のお店を構えた人。さらにはフランス、ドイツ、ベトナム、シンガポールと世界各国で活躍している人もいます。
由起子さん自身の活躍の場も広がっています。今日も東へ西へと、日本全国を駆け巡ります。このごろは台湾から北欧まで、世界を飛び回る機会も増えているそう。
由起子さんは自宅で過ごす時間のほとんどを、台所で過ごします。手を動かしながらも頭の中にあるのは、カフェのメニューや店に並ぶ生活道具のこと。今に至るまで、家族水入らずの時間はなかなか持てません。42年間にわたって隣で支え続けてくれる夫への感謝の気持ちを、由起子さんは折々滲ませました。
くるみの木を始めた当初、奈良の地では「よそもの」だったという由起子さんも、今ではすっかり奈良の顔の一人です。由起子さんがいるから、奈良を訪れたという人は数えきれません。県外から「くるみの木」という“点”を訪れるお客さんに「奈良」という“面”を楽しんでほしい。その想いから2015年にスタートした「奈良町南観光案内所『鹿の舟』」の運営も、10年目を迎えています。
由起子さんには、今もやりたいことがあります。
奈良には、いろんな世代の素敵な人たちがいて、様々に素晴らしい活動をされています。そんな奈良の新たな楽しみをご紹介できたら。そして、個人的には、これまで働いてくれたスタッフが日本中、世界中にいるので彼らに会いに行きたいです」
これまで、たくさんの人と出会い、ものに触れてきた由起子さん。
今、気になっていることはなんですか?
「近頃、時々、精進料理をつくっています。お寺生まれの祖母がさぬきの郷土料理を教えていたんです。それを見ていたからなのか、最近のわたしは“素”という言葉に、つよく惹かれています」
そろそろ、お店の外がにぎやかになってきました。今日も開店を心待ちにするお客さんが、集まっています。厨房からは、美味しそうなにおいがしてきました。店内の棚では、作家さんのつくった器たちが、開店を心待ちにしています。
くるみの木に、同じ日は一日としてありません。訪れるたび、新しい表情を見せてくれます。
目が喜び、心が喜ぶ時間の中で、考えてみませんか。
わたしが受け継ぐものは、なんだろう?
(撮影:都甲ユウタ テキスト:大越はじめ)
※掲載の情報は2025年8月時点のものです。詳細は各施設・店舗にお問い合わせください ※写真はすべてイメージです
スポット情報
〈カフェ〉
住所
休み
水曜、第3火曜
JR奈良駅、近鉄奈良駅から航空自衛隊行または西大寺駅行きバス「一条高校前(不退寺口)」下車、東へ徒歩約3分。または近鉄新大宮駅より北へ徒歩約15分
※併設のcage(雑貨)、kuruminoki grocery(食品)、Noix La Soeur(服飾)については、別途ご確認ください
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