奈良カメラ旅!古都の写真映えスポットを巡る1泊2日モデルコース
奈良金魚ミュージアムなどフォトジェニックなスポットに、ならまちなどの歴史を感じるエリアなど、カメラ旅にもおすすめな奈良。このページでは、カメラを片手に巡りたい、写真映えする奈良旅行のおすすめモデルコースをご紹介します!
- 所要時間
- 1泊2日
- 交通手段
- 電車・バス・徒歩
このコースで訪れるスポット

奈良金魚ミュージアム(ミ・ナーラ内)

金魚の一大産地である奈良に、2021年にオープンした日本最大級の金魚ミュージアム。館内では約40種類、3,000匹の金魚たちが優雅に泳ぎ、まるでアート作品のような水槽や、プロジェクションマッピングと融合した光と音の演出など、五感で楽しむことができます。館内はもちろん全面撮影可能で、どれも写真映えする展示ばかり。カメラ旅のスタートにはうってつけのスポットです!
【ランチ】ミ・ナーラ内

奈良金魚ミュージアムのあるミ・ナーラは、ショッピングモールを併設した複合施設。1階にはフードコートがあり、様々なジャンルの食事を気軽に楽しむことができます。そのほかにもランチができるカフェやレストランがあるので、ミ・ナーラのグルメガイドをチェックしてみましょう。
法華寺

大和三門跡の1つに数えられる尼寺。奈良時代、聖武天皇が創建した総国分寺の東大寺に対し、光明皇后により父・藤原不比等の邸宅跡に総国分尼寺として建立されました。正式名は「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」と称し、七堂伽藍を備えて隆盛を極めました。平安遷都とともに衰退しましたが、豊臣秀頼の母・淀君の発願より現在の伽藍に整えられました。桃山時代に再建された本堂は天平建築の特徴と桃山建築の特色がみられ、国宝・十一面観音菩薩立像、国宝・維摩居士坐像が安置されています。光明皇后が蓮池を渡られる姿を写したものと伝わるご本尊、国宝・十一面観音菩薩立像は通常非公開で、年3回(春、初夏、秋)の特別開扉が行われます。境内には、国史跡・名勝庭園と華楽園(からくえん)の2つの庭があり、四季折々の花々が楽しめます。江戸時代初期に作庭された国史跡 名勝庭園は、広さ約500坪あり京都仙洞御所(せんとうごしょ)の庭園から石や庭木などが移されたと伝えられています。護摩の灰を粘土に混ぜて形を作り、文様彩色を施した愛らしい犬形のお守りも知られています。
海龍王寺

天平3年(731年)海龍王寺は、遣唐使の留学僧として唐に渡った玄昉(げんぼう)が一切経五千余巻と新しい仏法とを無事に我が国にもたらすことを願うため、また平城宮の東北(鬼門)の方角を護るために光明皇后によって創建されました。玄昉が帰国の途中、東シナ海で暴風雨に襲われた際、「海龍王経」を一心に唱えたところ、九死に一生を得て無事に帰国を果たしたことより遣唐使の渡海安全祈願を営むようになり、寺号が海龍王寺と定められました。初代住持となった玄昉は、海龍王寺を天皇家の私寺である平城宮内道場と定めました。また同時期に写経も盛んに行われ、光明皇后・弘法大師も写経をされており、現在も弘法大師筆とされる般若心経(隅寺心経、すみでらしんぎょう)が伝えられています。 創建当時の建物は五重小塔(国宝)・西金堂(重文)が残り、本堂には、寺門勅額(重文)・鎌倉時代に造立された十一面観音立像(重文)・文殊菩薩立像(重文)などが安置されています。
興福寺

南都七大寺の中で最も密接に奈良の街とつながりを持ちながら発展した寺。710(和銅3)年、藤原不比等が飛鳥から平城京へ前身の厩坂寺を移転したもので、藤原氏の氏寺として、藤原一族の隆盛とともに寺勢を拡大しました。最盛時には数多くの堂塔僧坊が立ち並んでいたといいます。また、神仏習合の影響をうけ、春日社と一体化し、時には僧兵をしたがえて朝廷へ強訴に及ぶまでになりました。1180(治承4)年、平家に焼き打ちされ、ほとんどの堂が焼失しますが、直ぐに再建されました。鎌倉時代には大和守護職の実権を握り、実質的に大和国一帯を支配していました。現在の堂塔は、鎌倉以降の建物を一部残し、広い境内に東金堂・中金堂・北円堂・南円堂・五重塔・三重塔・大湯屋・大御堂・国宝館などが建並び、仏教彫刻類は天平時代や鎌倉時代の至宝を数多く保存しています。
※中金堂は2018(平成30)年に落慶しました
猿沢池

奈良公園にある周囲360メートルの池。興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しく、奈良八景のひとつになっている。
※現在、興福寺 五重塔は保存修理工事中です。工事用の巣屋根(覆屋)に覆われており、外観をご覧いただくことはできません。
ならまち散策

ならまちは伝統的な商家や町家の中に話題のお店が点在する、市内屈指のお洒落なエリア。格子窓の町屋が特徴の路地を歩けば、写真に収めたくなる風景が続きます。昔の建物をリノベーションしたカフェや雑貨店は、外観はもちろん内部の家具や建築の風情も見どころ。気になるお店をみつけて、のんびり休憩しましょう。また、ならまちでは、あちこちの軒先に赤い毬のようなものが吊るされています。これは「身代わり申」と呼ばれる厄除けで、落ち着いた色合いの町並みに鮮やかなアクセントを与えます。
【画像:ならまちの風景】
大和文華館

松林に囲まれた静かな環境にある現代的な建物。主に日本、中国、朝鮮を中心とした美術工芸品を年8回展示しています。また、本館を取り囲むお庭「文華苑」では四季を通じて様々なお花が楽しめます。
【ランチ】東大寺・奈良公園周辺

奈良公園周辺には昔ながらの趣のある茶屋が点在しています。休憩はもちろんテーブル席での食事もできるので、ランチ利用にもおすすめ。また、奈良公園から東大寺に向かう道中にもランチにうってつけのカフェやレストランがあるので、Googleマップで気になるお店を探してみましょう。
【画像:水谷茶屋】
依水園・寧楽美術館

飛火野

春日大社境内 飛火野は、春日大社表参道に面した広大な芝生の原。鹿が常に群れ遊び、御蓋山(みかさやま)の絶好のビューポイントです。現在は飛火野(とびひの)と呼ばれていますが、古くは春日野(かすがの)とも呼ばれ、御蓋山を仰ぐ古代祭祀の地でした。「飛火野」の名の由来は、鹿島大明神が春日の地にお着きになられた時、お供の八代尊(やしろのみこと)が道明かりとして口から火を吐き、その炎がいつまでも消えず飛んでいるように見えたことからこの名がついたとも、飛火が古代の通信施設「烽火(のろし)」の意味であるからだとも言われています。万葉の昔には貴族たちが打球(ポロ)をしたり、平安時代にも若菜摘みや花見など、春の遊びの名所として知られていました。
東大寺

奈良の大仏さまで知られる奈良時代創建の代表的な寺院で、都である平城京に全国の国分寺の中心として建立されました。 大仏殿は世界最大級の木造建造物です。
天平15年(743)に聖武天皇が生きとし生けるすべてのものが栄えるようにと願い、盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)造立の詔を発し、 天平勝宝4年(752)に大仏さまは開眼されました。以降次々と堂塔が建造され、40年近くかけて伽藍が整いました。 都が移ったあとも大仏さまの寺として朝野の篤い信仰を集めました。
しかし、治承4年(1180)平重衡の軍勢によって大仏殿をはじめ伽藍の大半を失いました。 重源上人によって再興されましたが、永禄10年(1567)の三好・松永の乱で、わずかな建物を残して再度焼失してしまいます。
現在の伽藍の多くは公慶上人らによって江戸時代に再興されたものですが、法華堂や転害門、南大門をはじめ、 各時代を代表する国宝建造物を含む多くの文化財を伝えています。
東大寺二月堂

二月堂は東大寺境内東奥にある高台に位置し、舞台からは奈良の街が一望できます。24時間参拝可能で、屈指の夕日スポットとしても有名。天気が良ければ、夕日に染まる街並みと山々に夕日が沈む絶景を見ることができます。また、日が落ちた後は灯籠に明かりが灯り、ますます幻想的に。カメラ旅の締めくくりには最高のスポットです。
【画像:東大寺二月堂】