近代建築を遺(のこ)した偉人たち
多くの時間を奈良で過ごし、日常の体験を通じて、数々の作品を発表してきたふたりの偉人。
その拠点となった旧居やゆかりの地を訪ねて、彼らが好んだ文化の香りにふれてみましょう。
INDEX
文人をも魅了した小説の神様
「志賀直哉」
1883(明治16)年、宮城県石巻市生まれ。学習院高等科を経て東京帝国大学に入学。無駄のない簡潔な文章は小説文体の理想のひとつとされた。
1925(大正14)年に奈良へ移り、1929(昭和4)年に高畑に家を新築、家族と共に9年間暮らした。1949(昭和24)年、文化勲章を受章。代表作は『城の崎にて』『暗夜行路』など。
昭和の文豪が愛した奈良の邸宅
志賀直哉旧居
\志賀が自ら設計した自宅は美的な工夫が随所に/
数寄屋(すきや)風の造りでありながら、西洋のアールデコ様式を取り入れたこだわりの建物には、見どころがたくさんあります。約20畳ある食堂は、数奇屋風、洋風、中国風を和させた美しくモダンなつくり。
志賀は、食堂や大きな天窓のあるサンルームなどで、毎月50人以上もの来客をもてなしたといわれています。志賀を慕ってサンルームに多くの文人や画家が集い、「高畑サロン」と呼ばれていました。
また志賀は、長編小説『暗夜行路』を、奈良高畑のこの旧居で完成させました。
📍奈良市高畑町1237-2
📞0742-26-6490(奈良学園セミナーハウス)
近代建築の豆知識 ①
「数寄屋造りとアールデコ様式」
数寄屋造りとは日本の建築様式の1つで、木や竹など自然素材を生かした風流を感じるシンプルな意匠が特徴。ちなみに「数寄屋」とは茶室のこと。
アールデコは、1910年~30年代にかけてフランスを中心とするヨーロッパ、そして米国で広まった装飾様式のこと。
実用的で美しく直線的なデザインが人気を集めた。
大和路を生涯愛した奈良の名写真家
「入江泰𠮷」
1905(明治38)年、奈良市生まれ。大阪に写真店「光藝社」を開き、文楽の写真家として活躍。1945(昭和20)年、大阪大空襲をきっかけに奈良へ。
戦後、仏像がアメリカに接収されるとの噂を聞き、写真への記録を決意。以来、奈良大和路の風景・仏像・伝統行事、万葉の花などを撮り続けた。
奈良を撮り続けた写真家の終の棲家
入江泰𠮷旧居
\入江が愛した奈良の自然に囲まれた邸宅/
半世紀にわたり奈良を撮り続けた入江泰𠮷が、戦後から亡くなるまで暮らした住まいです。1919(大正8)年に吉城園(よしきえん)から移築されたと伝わる建物は、茶室を備える数寄屋風の木造平屋建て。
前出の志賀直哉をはじめ、画家の杉本健吉、随筆家の白洲正子などが訪れ、入江はここで多くの文人や芸術家と交流を深めました。
離れの暗室には使いやすく工夫された自作の棚などがあり、写真家としてのこだわりが見られます。
📍奈良市水門町49-2
📞0742-27-1689

偉人ゆかりの名所へ
文豪が食した料理を数寄屋風の離れで
料理旅館 江戸三(えどさん)
1907(明治40)年創業の料亭で、大正~昭和初期築とされる木造平屋の数寄屋造りの離れが8棟あります。
文壇デビュー前の小林秀雄や、画家の堂本印象など長期で逗留する文人墨客も多かったそう。
茶室に用いる火灯口(かとうぐち)を取り入れた「影向(ようごう)」の間は志賀直哉が好んだ部屋で、こぢんまりとして落ち着く空間。
📍奈良市高畑町1167
📞0742-26-2662(食事、宿泊ともに要予約)


INTERVIEW
建築史の専門家
教えて、増井先生!
|Profile| 増井 正哉(ますい まさや)さん 1955 年生まれ。京都大学・奈良女子大学名誉教授。 都市史のほか、歴史遺産や文化財の保存・活用に取り組む。 2021年4月「大阪くらしの今昔館」館長に就任、現在に至る。 |
奈良の近代建築の魅力
私の好きな奈良の近代建築と保存への願い もともと近代建築は、地域を越えて共通の様式を基本にしています。バロックとかルネサンスとか。ただ、奈良では常に「奈良らしさ」が求められ、建築家たちには相応のプレッシャーがあったと思います。 地域に根差した建築のあり方について、奈良ほど正面から取り組んだ都市はなかったでしょう。そこには「古都奈良らしさ」が常についてまわったのです。奈良の特殊性であり宿命ですね。 私が好きな奈良の近代建築は、タイプが違いますが日本聖公会奈良基督教会 会堂と南都銀行本店です。もともとキリスト教の教会はこんな姿がよいという理想形があります。 しかも、洋風の教会堂は各地で建てられていてその様式は知られていました。この教会堂の場合は、興福寺の境内地に建つということで、奈良の景観との調和を考える必要がありました。 平面図を見ると本格的な英国ゴシックの構成ですが、外観は和風。設計者は社寺建築の経験もある大木吉太郎(おおききちたろう)で、内部にも和の意匠、それも春日造などを意識した奈良の和風を楽しむように組み込んでいます。 |
一方、長野宇平治が手掛けた南都銀行本店は対極的で、当時の建築家としては近代建築の理想の形のように感じます。奈良以外のまちにあってもおかしくなく、建築家が地域性にとらわれずに設計したらこんな感じ、という建物です。 長野は帝大を卒業した1年後に旧奈良県庁舎を手掛けました。それは県の方針(擬洋風建築ではなく、奈良公園にふさわしい和風の建物)を反映した洋風と和風の特徴を併せ持つものでした。本人も庁舎のモデルとするべく、実験的にやったと語っています。30年後、銀行建築の第一人者となって奈良に凱旋し、本格的洋風建築である南都銀行の意匠で反撃(?)に出たのではないかと思いますね(笑)。 近代建築の保存・活用例も増えています。個人や民間の小さな建物ですが、京終駅構内のハテノミドリや工場跡などに私は注目しています。最近では観光資源としての活用が一般的にみられますが、そうした考えから少し離れて、昔の建物を大事にしたいと思う人が一定数いるので、そういう人を応援する取り組みが必要だと思います。地域とのつながりや建物を建てた人、住んでいた人などの想いを伝えていくこと。そんな近代建築の保存や再生にも目配りできる優しさがある世の中になるといいですね。 |
近代建築の豆知識 ②
「今後の近代建築の保存・活用に関する話題」
「南都銀行本店」は2025年春に新大宮に移転。国の登録有形文化財である現在の本館は、地域活性化につなげる予定。
また国の重要文化財である[旧奈良監獄]は、2026年春のホテル・ミュージアム開業を目指し、現在改装工事が進められている。

※当記事は観光情報誌『ならり』vol.37からの抜粋です。掲載内容は2024年8月現在のものです。















































