紡がれてゆく奈良の近代建築
明治から昭和初期に建てられた奈良の近代建築は、時を経た今も「奈良らしさ」を保ちながら、まちの風景と美しく調和しています。
古都奈良の観光といえば社寺巡りが定番ですが、近代建築に目を向けると、また違った奈良のまちの魅力が見えてきます。
INDEX
「奈良らしさ」を感じる近代建築のはじまり
奈良の建物といえば、世界遺産「古都奈良の文化財」の社寺を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。実は近代にも「奈良らしさ」を感じることのできる魅力的な建築物が数多くあります。近代建築とは、一般的に明治から昭和初期に建てられた建物のことをいいます。その頃、奈良では、洋風のものだけでなく、伝統的な要素を取り入れた和洋折衷のものや、和風のものもたくさん建てられました。そんな奈良ならではの近代建築を、歴史的な環境や背景を交え、ご紹介します。
まず、後世の奈良の近代建築に影響を与えたと考えられる2つの建物があります。帝国奈良博物館本館(現・奈良国立博物館 仏像館)と奈良県庁舎(旧奈良県庁舎)です。1894(明治27)年に完成した帝国奈良博物館本館は、翌年4月に開館。社寺に伝わる名器や重宝を保管・公開し、保護することを目的に、興福寺がもともと所有していた土地に設置されました。初めて登場した本格的洋風建築に、当時の人々は大変驚いたことでしょう。そして1年後の1895(明治28)年、奈良公園の建築意匠を方向づける建物、奈良県庁舎が興福寺塔頭・一乗院跡地に完成します。

近代建築の豆知識 ①
「ハーフティンバー様式」
15~17世紀のイギリスや中世の北ヨーロッパでよく用いられた木造建築の構造のひとつ。梁(はり)や柱が外部に露出、その間の壁面をレンガや漆喰(しっくい)などで埋めてつくる。表面に木材が半分ほど見えたり、壁と木材の部分が約半分の見た目になるのが特徴。明治以降の学校建築で多用され奈良女子大学記念館で見ることができる。
風致形成との調和と工夫により奈良で生まれた「近代和風建築」
奈良県庁舎の設計を担当したのは、1893(明治26)年に帝国大学を卒業した長野宇平治でした。長野は予算の制約やプレッシャーもある中、およそ1年で奈良県庁舎を完成させます。その意匠は、県の方針(擬洋風建築ではなく奈良公園にふさわしい和風の建物)を反映し、洋風と和風の特徴を併せ持つものでした。この記念すべき建物を「近代和風建築」の嚆矢(こうし)と位置づける研究者もいます。奈良の近代建築の方向性を決定づける出来事だったといえるでしょう。
このような歴史的な背景があり、伝統的な和の様式と近代的な洋の様式をうまく取り入れた和洋折衷や近代和風の建物が誕生しました。中でも、菊水楼(きくすいろう)や奈良ホテル、奈良県知事公舎(現・紫翠(しすい) ラグジュアリーコレクションホテル 奈良)、奈良県物産陳列所(現・奈良国立博物館 仏教美術資料研究センター)は、それぞれが特徴的な意匠をもつ「奈良らしい」近代建築です。
また、現在改装工事中の奈良監獄、南都銀行本店など、建物の補修や保存、活用への取り組みも行われています。奈良市では、明治維新以降、日本が諸外国との交流の中で学んだ技術や知識が凝縮された建築作品が、今もなお大切に継承されています。ぜひ、この機会に、古都に息づく近代建築の素晴らしさにふれてみてはいかがでしょうか。

近代建築の豆知識 ②
「JR奈良駅旧駅舎の曳家(ひきや)工法」
JR奈良駅旧駅舎(現・奈良市総合観光案内所)は、古都奈良の玄関口として、今も昔も変わらず愛され続けています。2004年、新たな駅舎の建設にともない、旧駅舎を保存するため、曳家(レールの上に置いた鉄の棒で建物を水平に移動させる工法)により、北東に約18m移動。文化遺産の保存と活用が実現した好例といわれる。
年表で見る奈良の近代建築の歴史



知っておきたいPoint 01
明治時代の奈良公園
1880(明治13)年、奈良の復興策として奈良公園が開設(興福寺の境内一部を公園化)しました。その後、来訪者をもてなすための旅館やお店が誕生。伝統建築の改修工事も行う尾田組の設計により、1891(明治24)年に開業した老舗の料亭・菊水楼もその1つです。菊水楼はその後、1901(明治34)年に本館を新築、翌年増築し、現在の形となりました。

知っておきたいPoint 02
奈良市初の本格的洋風建築
1894(明治27)年完成の帝国奈良博物館本館(現・奈良国立博物館 仏像館)は、奈良市で最初の本格的洋風建築です。設計者は、宮内省内匠(たくみ)寮技師でヨーロッパの視察経験もある片山東熊(かたやまとうくま)。
竣工時は洋風意匠が不評だったという説もありますが、根拠が不明瞭な部分も。現在では、鹿が遊ぶ奈良公園の洋風建築として幅広く親しまれています。

知っておきたいPoint 03
影響を与えた建築家
現在の東京大学工学部で建築を学んだ建築家には、 辰野金吾(たつのきんご)や片山東熊、 長野宇平治(ながのうへいじ)のほかに、平城宮跡(へいじょうきゅうせき)を発見した関野貞(せきのただし)もいます。関野は、奈良の古代建築史学や文化財保護行政の基礎を作った研究者。彼が設計した奈良県物産陳列所(現・奈良国立博物館 仏教美術資料研究センター)は、代表的な近代和風建築の1つです。
知っておきたいPoint 04
和洋折衷と洋風建築
明治中期の奈良公園には、風致景観などにより帝国奈良博物館を除いて本格的な洋風建築はありませんでした。明治30年代以降は景観との調和により、奈良公園やその周辺には、外国人から見た和風を意識して建てられた和洋折衷の奈良ホテルや、北欧などに見られるハーフティンバー様式が特徴的な奈良女子高等師範学校本館(現・奈良女子大学記念館)が誕生しました。

知っておきたいPoint 05
高畑(たかばたけ)に漂う文化の香り
高畑は、所々、古い土塀(どべい)が残る趣深いまち。奈良時代に広大な寺域を誇った新薬師寺の旧境内地ですが、大正・昭和初期には、数多くの文人や芸術家が活動の拠点とした文化エリアでもあります。ゆるり散策しながら、志賀直哉旧居や>足立家住宅(現・中村家住宅/たかばたけ茶論)などを訪ねてみませんか。

※当記事は観光情報誌『ならり』vol.37からの抜粋です。掲載内容は2024年8月現在のものです。
この記事で紹介したスポット
- 奈良国立博物館
- 仏教彫刻、仏教絵画など仏教美術の名品が多数展示されており、なら仏像館では100体近くの仏像を常時展示しています。新館では年2回ほど特…

- もっと見る
- 奈良公園
- 奈良市街の東一帯に広がる、総面積約660ヘクタール という広大な公園。東大寺・興福寺・春日大社・国立博物館などと一体となり、さらに春…

- もっと見る
- 興福寺
- 南都七大寺の中で最も密接に奈良の街とつながりを持ちながら発展した寺。710(和銅3)年、藤原不比等が飛鳥から平城京へ前身の厩坂寺を移…

- もっと見る
- 平城宮跡歴史公園
- 和銅3年(710年)に藤原京より遷都された平城京の中心であった「平城宮(へいじょうきゅう)」の宮跡で、1998年(平成10年)には「古都奈…

- もっと見る
- 志賀直哉旧居
- 志賀直哉自身が設計した邸宅を完全復元。芸術家が集った食堂や、『暗夜行路』を書き終えた書斎などが見学できます。

- もっと見る
- 足立家住宅(現・中村家住宅/たかばたけ茶論)
- 志賀直哉旧居の隣、大正時代に建てられた洋館(登録有形文化財)の広いお庭にあるガーデンカフェです。

- もっと見る































